今回のお話を観て とある団体を思い出しましたが
フラクタルシステムで管理された人間の財産は一体どうなっているのでしょうね。
富裕層や貧困層がいない世界なのでしょうか?
星祭りのアップデート作業が行われている様子が今回ありましたが
集まっている人間は かなり人数が少ないですねー。
もしも世界中で この星祭りが行われているとしたら相当な数の僧院側の人間が必要なはずです。
一体僧院に属している人間はどれくらいの人数になるのでしょうか?
フリュネは その僧院の中でもかなり高位にいる存在の様ですが一体どのように
あの場に現れたのか?テレポートでもしてきたのか?それとも彼女もデータの一部で
あらゆる所に姿を現すことが可能なのでしょうか?
また、僧院側の巫女が老婆ばかりで 一番若いと思われるネッサの実体型がより高位の様な
存在に感じました。まさかネッサが全ての町を周り星祭りを行っているとは思えないので
ドッペル型のネッサがもしかしたら大量にいるのかもしれませんね。
それと同様にフリュネ型のドッペルも大量に存在しているのかもしれません。
ミサカネットワークみたいな感じで各地に フリュネ何号という形で存在していたりして。
ロストミレニアムの生活を大事にする人間達がグラニッツの村には住んでいました。
果たして彼らは人間らしい生活をしていると言えるのか?
もしも、私たちが 原始人の生活を見て ああ、あれこそが人間らしいのだ、と思えるのか?
そう考えると 何が人間らしい生活なのか分からなくなります。
グラニッツ村の人間達は たまたま今の私たちと同様の生活をしていますが
果たして 1000年後の未来から見た私たちの生活は自由で良いねと言えるのかなぁ。
考えると我々も 学校やテレビ・インターネットなどを通して洗脳されているのかもしれませんね。
何が正しくて何が悪いのか、何が美しくて何が醜いのか。真の自由とは何か?
それは それぞれの時代でのマジョリティの価値観が強く反映されるのかもしれません。
民主主義国家の多くはサイエンスマジョリティの意見が強く、その面でもフラクタルシステムの
社会主義的な描写は面白く感じるものでもあります。
私自身 そこら辺の専門知識は持ち合わせていないので調べたら
より対比構造が明らかになり面白く感じることが出来るかもしれないな、と思いました。
もし、逆に マイノリティの思想世界がマジョリティの思想世界と同一化するなら
そこには フラクタル構造が見て取れるのかもしれませんね。
今回は 作品世界の設定が多く描かれていました。
今までのほのぼのムードから一転した感じも受けましたが、
今後この作品はどこを目指していくのかな?
色々と考えるキッカケを与えてくれるという点でこの作品は結構気に入っています。
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